がめこの読書&映画日記

雑食読書家がめこが本を読んだり映画を見たりして思ったことを書いています

恋と現実とその先~Before Midnight

自粛要請が続く中、読書と映画鑑賞で引きこもり生活をエンジョイされている方も多いのではないでしょうか。我が家でもTSUTAYAのDVD無料レンタルサービスを利用してひたすら映画を見ています。

先日見たのは「ビフォア・サンライズ」「ビフォア・サンセット」「ビフォア・ミッドナイト」の三部作。

以下(★ネタバレになります)簡単に説明すると、第一作目「サンライズ」では、彼女と別れてヨーロッパを旅していたジェシーが、アメリカに帰る前日にウィーン行きの電車で出会ったセリーヌに一目惚れして、ウィーンの街を一日一緒に歩き回り、第二作目「サンセット」では、9年後にセリーヌとの出会いを小説に書いたジェシーが、出版イベントでパリを訪れた際にふたたびセリーヌに出会い、夕方の飛行機が出るまでという約束でパリの街をまた歩き回ります。

この最初の二作については、限られた時間の中でお互いに惹かれあう二人のやりとりが、ウィーンとパリのなんでもない街並みや光の移ろいの美しさとあいまって、とても印象的ではありました。バックミュージックはほぼ無いのですが、表情や沈黙や風景が語るものだけでなくて言葉で伝えられるものもすごく大切にしている、言葉の力を信じている人が作った映画だなと思いました。

ただ、この二作にものすごく心をうたれたかというと、私は正直それほどでもありませんでした。

初めて会った相手に激しく惹かれて離れがたくなり、その想いをその後何年も持ち続けることは、それ自体素敵なことではあります。しかし「サンライズ」で、結局二人は連絡先を交換せずに別れることを選びました。このとき「半年後に同じ場所で会おう」と約束はしましたが、そんな約束は何らかの事情によって実現しないことが十分想定されるものです(実際にセリーヌの突発的な事情により実現しませんでした)。つまり二人は「実現しないことが十分想定され、実現しなかった場合でもお互いそれほど傷つかず、美しい思い出としてしまっておけるような約束」をあえてしたともいえます。もっと言えば、その後連絡をとりあってお互いをさらに深く知ることよりも、一日の記憶を単なる美しい思い出にすることを二人は選んだことになります。

率直に言って、出会ってすぐに離れ離れになってしまった相手に対する幻想を長期間抱き続けることはそれほど難しいことではありません。ジェシーセリーヌが現実生活に不満を抱きつつ美しい思い出を心に持ち続けていたとしても、そのことには特段価値はないと思います。

「サンセット」では、再会したジェシーセリーヌが再び燃え上がる過程がじっくり描かれており、「サンライズ」と同じく映像も美しく会話も面白いのですが、映画全体としては結局二人が幻想の続きをたどっているにすぎません。

それであまり期待せずに「ビフォア・ミッドナイト」を見たのですが、これは私にとっては、予想を裏切ってかなり見ごたえのある内容でした。

「ミッドナイト」は、「サンセット」の後アメリカに帰らずパリで一緒に暮らし始めたジェシーセリーヌのその後のストーリーです。ジェシーは妻と離婚し、セリーヌとの間には双子の娘も生まれ、前妻との間の息子は時々父の住むヨーロッパに遊びに来るという状況。バカンスのため家族でギリシャを訪れていた際に、ジェシーは息子が住むシカゴへの移住をセリーヌに持ち掛けますが、それがセリーヌの逆鱗に触れ、そこから始まる怒涛のような二人の夫婦喧嘩がこの映画のメインの内容となっています。

セリーヌの言葉は、女性からすると大いに共感できる部分も一部あるのですが、大部分はいまだ男性優位社会への日頃の不満からジェシーを傷つけるためだけに発せられる罵りであり、これを聞き続けるのは女性の私としてもかなりしんどいです。またジェシーの言葉の端々に、普段は表に出てこないマッチョな感覚が見え隠れするのも、気に障ります。挙句の果てには、お互いの浮気やセックスへの不満まであげつらって、相手を最も傷つける言葉を入念に選んでズタズタに切り裂きあうに至り、「サンライズ」「サンセット」の時の美しさは跡形もありません。

サンライズ」「サンセット」の世界に魅せられた人達の多くは「リンクレイター監督は、なぜこんな醜い現実を突きつけるだけの続編を撮ったのだろう」と不思議に思ったのではないかと思います。

でも私は「リンクレイター監督はむしろこの『ミッドナイト』を撮るために『サンライズ』『サンセット』を撮ったんじゃないだろうか。そうだといいな」と思ったのです。

いくら心惹かれた相手であっても、他人と一緒に生きるということは、自分の思い通りにならない相手にイライラし続け、最も大切にしている自分のコアとなる部分を(たいていは無意識の言動によって)否定され続け、結果的に傷つけあうことです。そうやって傷つけあい戦いながら、自分はそれでも相手と一緒にいたいのかを考え続けることです。戦いを続けてもたいていは相手を変えることはできませんし、結局別れを選ばなければならないことも多いでしょう。

でも、いずれの場合であっても、その戦いは、自分とは違うその相手と一緒にいたいという思いから始まるものです。そして私は、最初の恋の瞬間よりも、相手と一緒にいつづけるための戦いにこそ価値があると思うのです。

「ミッドナイト」でも、前二作と同様に音楽はなく、エーゲ海に面した小さな町の美しい自然と光と影が音楽の役割を果たしています。

「サンセット」の後、どこかの時点でお互いへの幻想が崩れたジェシーセリーヌは、それでも自分の全てをむき出しにして、一緒にいつづけるための戦いをずっと続けてきたのでしょうし、これからも続けていくのでしょう。

「ミッドナイト」の続編があるかどうかはわかりませんが、もしあったら、二人の幻想と現実のさらにその先を見届けたいと思います。