がめこの読書&映画日記

雑食読書家がめこが本を読んだり映画を見たりして思ったことを書いています

やっぱり個人主義から始めたい~戦争好きな左脳アメリカ人、平和好きな右脳日本人

初めまして、がめこです。

先日ある本を読んで、なんだか文章を書きたくなり、ブログを始めることにしました。よろしくお願いします。

その本というのは、「戦争好きな左脳アメリカ人、平和好きな右脳日本人」(篠浦伸禎著)という本です。

この本の内容について全面的に賛成できるわけではないですし、全体的に情緒的な記述も多く、説得力という点でもどうかなと思うところはあります。でも私がこれまでになんとなく感じていたことを確認できた部分もあり、面白い本でした。

この本では、人が考えるときの傾向として、

①左脳(人や物事の境界をはっきりさせたい=理性の脳)と、右脳(人や物事の境界をなくし一体化させたい=関係性の脳)のどちらをよく使う傾向があるか、

②多くの情報を処理して状況を俯瞰する前頭葉頭頂葉(三次元の脳)と、情動に関係し部分を深く狭く見る扁桃体(二次元の脳)のどちらをよく使う傾向があるか、

という二つの視点を掛け合わせて、左脳三次元、左脳二次元、右脳三次元、右脳二次元の4つの傾向に分類し、どの傾向が強いかがその人の言動に大きく影響する、と説明しています。

それぞれのタイプの特徴はおおむね以下のとおりです(カッコ内は、該当する歴史上の人物、とのこと)。ただ、必ずしもどれか一つしか当てはまらないというわけではなく、例えば左脳三次元と右脳三次元の傾向が同じくらい強い、ということもあるとのことです。

  • 左脳3次元:多くの情報を処理して本質を見極める/目的・目標が明確で、結論から考える/情緒的な関わりが苦手(織田信長徳川家康大久保利通
  • 左脳2次元:原理原則にこだわる/緻密な情報をもとに、物事や考えを整理整頓するのを得意とする(石田三成明智光秀江藤新平
  • 右脳3次元:活動的/話をしながら考える/周囲を巻き込む力が強い/自由で楽しいことや刺激を求める(豊臣秀吉高杉晋作桐野利秋
  • 右脳2次元:狭くて濃い人間関係をつくる/相手を大切にするために主体性を失いがち(前田利家西郷隆盛坂本龍馬

著者によると、アメリカ人やイギリス人などは左脳三次元タイプが多く、日本人は右脳二次元タイプが多いとのこと。

自分がどのタイプに該当するかを判断するためのテストもあるのですが、私はここまで読んだ時点で、テストをするまでもなく「自分は右脳二次元タイプだな~」とはっきり自覚しました。偶然なのか必然なのか、私の親や兄弟も右脳二次元の傾向が強いです。

また、この4タイプはそれぞれ相性の良しあしがあり、右脳二次元と左脳三次元は相性が良く、右脳二次元と左脳二次元は相性が悪いとのこと。確かに私の友達は、大所高所から的確なアドバイスをくれる左脳三次元が多いかも。私の夫(理系でオタク)は明らかに左脳二次元ですが(笑)。職場では左脳三次元タイプの人が多くていつも助けられています。

ちなみに、なんでこの本を読んで文章を書こうと思ったかというと、著者曰く「どのタイプの人であっても、脳を最大限使って能力を最大化することを目指すべき」で「仮に右脳二次元の傾向が強かったとしても、できるだけ他の脳領域も使うことがその人の能力の最大化につながる」とのことであり、それは私にも感覚的によく理解できたからです。右脳二次元の私としては左脳三次元の範囲の脳を意識的に使うべきということになりますが、左脳を鍛えるためには日記を書いたり数学の問題を解いたりするのがよいということを(別の情報源からですが)聞き、「じゃあ何か日記のようなものを書いてみよう!」と思ったというわけです。

仕事以外で文章を書くのは学生の時以来ですが、確かに、普段使っていない脳みそを使う感覚がありますね。仕事で文章を書くときは、もともと言葉の形でインプットされた情報を少し編集してアウトプットするという作業であることが多いのですが、今回のように、形にならないもやもやとした思いを文章にするという作業をしていると、なんとなく左脳が鍛えられているような感じがします。

ところで最初にも述べましたが、この本には賛成できない部分もあります。それは、この本の後半あたりから「日本人が能力を発揮して幸せになるためには、個人主義に毒された現代の考え方を見直し、私よりも公を重視して行動するべき」というような論調になっている点です。

著者は、自らを左脳三次元タイプだと分析し、組織を動かすためには左脳三次元的な能力が不可欠とする一方で、相手を大切にする右脳二次元的な行動を尊び、私よりも公のために生きることが各人の能力の最大化や幸福、ひいては社会の発展につながると論じています。右脳二次元タイプの自己犠牲をいとわない性質は、左脳三次元タイプの著者からすると信じられないほどの美徳として映るのかもしれません。

しかし、右脳二次元タイプを自覚する私からすれば、右脳二次元タイプは自分を犠牲にするのがそれほど苦ではない代わりに、周りの人に対しても「あなたも犠牲になってくれるよね?」と甘えるところがあるように思います。日本人は右脳二次元タイプが多いという著者の分析には私も同感ですが、日本人の右脳二次元的性質からくる甘えによりこれまでに引き起こされた悲劇や災難は、ここでは述べませんが無数にあるように思います。

「相手のために何かしたい」を第一に置くというのは、右脳二次元タイプの人間にとって実はそれほど難しいことではありません。しかし「相手のために何かしたい」を第一に置くと「相手も私のために何かしてくれるべきだ」という発想に陥る危険が常につきまといますし、このような発想で社会を動かすことには、私は非常に危うさを感じます。自分を大切にできない人は他人を大切にできないし、いつも我慢している人は他人にも我慢を強いる、というのは私がこれまでの人生で学んだことの一つです。

また、仮に日本人に右脳二次元タイプが多いのであれば、その対極にある左脳三次元的脳領域を発達させるためにも、日本人が個人主義について正しく認識し、まず「自分は何をしたいのか」「どうしたら自分は幸せになれるのか」を考えることは、非常に重要になってくるように思います。

以前からなんとなく感じていたことではありますが、まず「自分にとっての幸せとは何なのか」をしっかり考え、その上で「周囲の人も幸せになりたいはず」「周囲の人も幸せになるにはどうすればいいか」という発想につなげ、全体としての発展を目指すのが、健康的な社会のあり方なのではないか、ということを、この本を読んで改めて考えました。